お母さんの為の癒しのサロン・感想
● 癒しのサロン、とってもとっても素敵な時間でした。
久しぶりの参加で前日は緊張していましたが、当日、とてもリラックスできた自分にビックリしました。あんなに泣けたことにも驚きでした。森さんのサポートはもちろん、TさんやKさんと同じ時間を共有できたことも大きなことでした。
Tさんのワークの後、
「愛情だと頭でわかっていても、受け取りたくない愛情は受け取らなくてもいいんだよ」
と森さんが言ったとき、長年縛られていたものから自由になれた気がしました。
こんなに愛してくれてるんだから、ちゃんと受け取らなくちゃ…受け取ることが当たり前で、受け取らないなんて考えたことがなかったように思います。でも、「ありがとう」と思いながらも苦しくなる自分がいて。感謝できない自分に気が付くのが怖くて。
だけど、愛情を受け取らないからといって、悪いことをしてるわけじゃないんですね。「私のことを思ってくれてるのはわかるけど…でも、それはいらないの、ごめんね」、それで、いいんですね。
サロンの帰り、高速を走っているとき、インターから入ってくる車が見えたので走行車線に移りました。すると、後ろから大きなトラックがすごい勢いで近づいてきて…いままでの私だったら、トラックの運転手の気持ちに応えようと、無理な車線変更で道を譲るか、無茶なスピードを出そうとするか、だったと思います。
でも、その時の私は「あなたの気持ちはわかるけど、でも、今は車線変更できるスペースがないの、私ができる範囲でスピードあげて、移れるスペースを探すから、それまで待っててね」、そんな気持ちでした。その時に、「私、相手の気持ちを受け取りながらも、ちゃんと自分の気持ちを大切にできてる」と思いました。初めての感覚でした。とてもとても、楽でした
● 昨日はありがとうございました。いろんな気持ちを抱えてて、ぱんぱんの風船のような状態だったので、いつ破裂してもおかしくない状態でした。本当に早く森さんにお会いしたくて待ちどおしかったです。
このところ何だか苦しくて、気分が沈み、寝込んで過ごすこともあったんです。
他の方の天心の後で森さんのおっしゃってた、落ち込むことも時には必要で、自分の心からの「休みなさい」のメッセージだって話が、
『あっ私も今落ち込んでるのは自分を大切にしなさい、休みなさい』
のサインがでてるから、こうやってていいんだって思えました。
これから夫にも息子にも「今日は私の休業日をもらいます」って堂々と言い休みます。
天心は不思議な感覚でした。支えるだけでその方の心の怒りや苦しみや、悲しみやさみしさが、私の心に直に響いてきました。自然と涙してる自分がいてびっくりしました。
自分の天心の時には、不安と寂しさでいっぱいみたいな子を見たら胸が苦しくて苦しくて、涙が止まりませんでした。もう一度あの女の子に会って抱きしめてあげたいと今思っています。
昨日家に帰ってから、数年来のママ友達が仕事を見つけたとメールをくれました。
私も、育児しながら最近仕事をはじめたので、いろいろな不安や緊張する気持ちが、よくわかると、私の気持ちをメールで送り返しました。すると今まで聞いたことのない、彼女の人間関係のトラウマの話までしてくれました。
また、昨日は息子が学校で鉄棒から落ちてひざをすりむいて帰ってきました。お風呂の時にひざが湯船に入るとしみるので、息子はどうやって入ろうかと試行錯誤していました。お母さんが抱っこして支えてあげるから入ってみる?って言うとおとなしくゆったり湯船につかっていました。
私は、このところ息子と湯船に入るのが嫌で、はだかでくっつきたくなかったんです。でも、昨日は何の躊躇もなく、赤ちゃんの時のように湯船の中で抱っこして支えて、赤ちゃんのときみたいにうでやももやおしりを触って、愛しいっていう気持ちを持って入ることができました。
息子も、「痛くなかったからお風呂入れたね、明日も鉄棒やってみよっ」ってちょっとうれしそうに先にお風呂を上がりました。
なんでしょうか・・・。これも不思議な感覚でした。ちょっとだけ魔法がかかったような感じです。
今朝も、息子は嫌だ嫌だ、学校休むぞといいながら集合時間ぎりぎりに出かけていきました。頑張ってる息子をほっと息抜きさせてあげられる母になりたいと思っています。
● 久しぶりの大人の癒しで、少しの緊張と癒されたいという思いと、自分ばっかり癒されて娘に悪いなあという思いで参加しました。
赤ちゃんの頃のようにおくるみに包まれ、二人の方に抱きかかえられて、自分自身に「生まれてきてありがとう」の感謝の気持ちを伝えると、自然と口元が緩み、愛されていたんだと感じました。
私は兄弟も多く、特別大事に育てられた記憶もなく、厳格な父の元(父が家にいるだけでピーンとはリ詰めた空気のなかで)、自分の気持ちを封印して過ごしていました。今でも、親の前ではすごく泣きたいときでも無理をして明るく話をしてしまいます。だから怒りの感情が出てくると思っていたのが、真逆だったの驚きました。
私自身も子育てをするようになり、親の気持ちが少しずつ受け止められるようになったのか、それともこのワークの前の天心で溢れた怒りの感情を、他の方たちが受け止めてくださり、気持ちが楽に楽になったからかなあなどと思いながら、新たな自身のことに触れることができました。
最後のカードのメッセージも、今の私にぴったりの言葉で、日々かみしめています。
●…前略…サロンでチラッと話していた両親というか、母のことで、後から(いえ、たぶんサロンの途中から)思い出したことがありました。
私は子育ての苦しさで、母に気持ちを受け止めてもらえなかったことばかりに今まで焦点を当てていたんですが、よくよく思い返してみると、母を助けたい一心で自ら口を閉ざしていた自分がいました。
介護の仕事もフルでこなし、家事も全てやっていたのでいつも忙しそうで、なのにどうかすると父が不機嫌になるので常に顔色を伺い、居ないところで愚痴を言っていた母でした。 そして母は、決して泣かない人でした。少なくとも私の前ではですが、たぶん一人の時でもオイオイ泣くことはなかったんじゃないかと思います。
私は大人になっても、母が私に泣き顔を見せなかったことは良かったと思っていました。母が泣いているところを見た日には、私は一気に不安のどん底に落ちて正気でいられなかったかもしれないから。それくらい、普通だと思っていた私の日常は不安に満ちていたのかもしれないですね。 抱っこ法を知ってようやく、泣かなかった母はさぞキツかっただろうなと思います。厳密には子どもに気持ちを出させない状況を作った時点で虐待の域に入るのかもしれませんが、あの時母にはあれが精一杯で、母は母で苦しかったのを、私は子どもなりに感じ取っていたような気がします。そんな母を助けたいと思っていた私の気持ちをまずは大事にしたい気分です。あぁなんて私は健気だったのかしら!と思います(笑)
その反面、私はズボラでいい加減な性格で、よく寝坊をしたりして、小学生から、高校生になっても母によく学校や駅まで送ってもらったりしました。大学生の頃はバスの本数が少ないという理由で、毎日のように夜遅くに駅に迎えに来てもらってたのに、遊んでいて待ちぼうけをくらわせたり。。 歪んだ形ではありますが、それなりに手がかかってたんですね。(その手がかかる部分でいつも過小評価をされて、私の自己評価も下がった訳ですが…) 私は過食ぎみではあるけれど病名が付くまでに至らなかったのは、母もギリギリのところで私に手をかけてくれたからだと思います。
そこに意識を向けることができたのは、恨みごとや寂しかった気持ちを森さんや他の参加者さんに聞いてもらえたからこそですね。やっぱり出す方が先なんだなぁと。そして受け止めて、共感してもらうことの大切さを改めて知りました。 またこの日に集まった方達とのご縁も、偶然ではなく、意味があることなんだなぁと感じました。
息子には相変わらず乱暴に怒ってますが、ほんの少しだけ、大きな声で怒れることが気持ち良く感じられます。怒った後のクールダウンもちょっとだけ早くなった気もします。
森さんの話を繰返し繰返し、何度も何度も聞くことで、ホントに少しずつですが、気持ちがゆるんできているように感じます。 そして自分がまだ苦しいところから抜け出せてはいないのに、苦しい渦中のお母さんに「この私でも少し楽になってきたんだから、きっと大丈夫!」と伝えたい気持ちがあります。 まだまだこれから子育ての本番が来て、私もまた苦しくなると思いますので、また癒しのサロンに参加したいと思います。これからもヨロシクお願いします♪
●今日はあっという間でした。有意義な1日をありがとうございました。 家に帰り子供を見た時、心から愛しいと感じました。寝る時になって、私が落ち着いていたからか、抱きついてきて「ママ大好き」と言ってくれました。本当に、私次第だなあ‥と思うのでした。
今日は今までで一番、自分の中で何か違う‥と感じました。絵本のように瓶の蓋を開けることができたような感覚です。(みずいろのこびん・岩崎書店) 30年以上ずっとしまい込んでいた‥水色どころか、どす黒くなっていそうな小瓶です。
サロンの中で吐き出す気持ちとか、言葉も否定されずに、ただ聞いてもらえることが、こんなにも救いになるのですね。私はずっと、こんな環境が欲しかったのだと思います。 理由もわからず、イライラして自分を責めて落ち込み、自暴自棄になって、私の人生が間違いだと‥何もかもがどうでもよくなって。それでも、日々はやってきて子供からも、毎日の生活からも逃げるわけにもいかなくて‥。子育て、生きるってなんて面倒で嫌な事なのだろう‥と疲れていました。 でも、今日はこんな私でも変わっていけるのかもしれない、毎日苦しい気持ちに支配されなくてすむ日がくるかもしれない、と少し希望が見えた気がしています。
今日の涙と一緒に流れ出た気持ちも、やっぱり1人で向き合うには辛く、その術もわからなくて‥付き合って下さって、とてもありがたかったです。明日になればまた元の?私に戻って、怒り爆発させているかもしれないですが‥(汗) これから徐々にでも、自分のことを認めてあげれるように、なりたいです。なれるのかな‥。また色々参加させて下さい。お疲れさまでした。
(第2信)
一日経って、今日は‥怒ってしまいました。すぐ感情的になってしまうのがよくないですね‥。Yが幼稚園から帰って、おやつの事で「これは嫌だ、こっちのがもっと欲しい、他にもちょうだい」などと言われ、「ああ~うるさい!ワーワー文句ばっかり言うな!あるもの食べればいいでしょ!帰ってきて早々、イライラさせないでよ。なんなの」と怒鳴った有り様です。 Yは公園で遊んだ後で、お腹がすいて疲れていたから、機嫌が悪かった事もあったのか、一緒に食べていたら機嫌良くなり笑いだしました。私の方が苛立ちを引きずっていましたが、しばらくして「おこりんぼママで、ごめんね。Yのこと大好きだよ」と抱きしめました。‥抱っこして遊びながら、Yは(ハイハイ。またか)という顔をしているようにも見えました(笑) なんでしょう‥私は何かにつけ、子供が主張し始めるとイラっとしてしまうのです。心がざわめき始める感じです。
サロンでは、話を聞いていただけて、新しく気付きがあり、本当にハッとしたのです。母に連れられ喫茶店に行ったこと。(ダダをこね始めるといつも喫茶店に連れて行かれた) パフェやピザが出てきたけど、何を食べても味を覚えてない‥悔しさとか悲しみを吐き出すことを止められ飲み込んでいたからなのですね。それが分かっただけでも発見でした。 聞いてもらっているうちに、思いだし確認できることがあるのですね。自分だけで考えたり、ノートに書いてみたところでスッキリしなかったです。また、よく似た方に会えたことも、縁を感じました。
三歩進んで二歩下がる‥最近は私の手がでなくなっただけマシでしょうか。暴言だらけですが‥。 今まで何十年と、あの手この手で心を見ないように、忘れていられるように生きてきたのだなあ。どおりで、いつも祭のあとの淋しさ‥虚しさみたいなものがつきまとってきたのだなぁと気付いたのでした。ああ‥驚きです。 これからは、沢山の小瓶?大瓶たちを少しずつ見つめなおす作業が待っているのかな‥とボンヤリながら感じています。 また長くなってしまいました。またお会いできることを心から楽しみにしています。おやすみなさい。
● ワークでは常日頃、意識している気持ちとは違うものを感じました。
子ども達の様子や自分について、色々と雑談していると、自分と両親との関わりが浮かんできて…なんだか切ない気持ちになりました。
タッピングタッチ、足首・頭の温もりを感じるワークは強張っていた身体がゆるみました。心がざわざわしているとしんどいのですが、気持ちよさに集中するとホッとして、眠くなってしまいました。
休憩の時も、うちで一人だったら、なんとも味気ないのだけど、入れてもらったお茶は美味しくて、好きです。いつもごちそうさまです。
プチ天心?と、描くワーク-では、小学生低学年の頃のことが浮かびました…。私が目を覚ますと、横で母がごめんね、ごめんね…と泣いていたことがよくあって。始めはそんな母を心配していたと思うのですが、あまりに度々あることだったし、とにかく眠いので、もういいよ、頼むから眠らせてよ…眠いんだから…そう母に言っている記憶しか残ってなかったのですが。
その場面が頭に浮かんだ時…。お母さん、ずるいよ…いつも先に泣いちゃって…私だって泣きたいのに、私の方が受けとめてもらいたいのに、こんなに苦しいのに…いつもいつも先に泣いちゃって…ずるい…という悔しい思いがこみ上げてきました。ああ、本当は小さい私はそんな風にも感じていたんだと思って…涙がでました。
クレヨンを片手に紙に向かうワークも、心の中には、ちくしょーとか悔しいとか浮かぶのですが、それを表に表すことに、自然と制限がかかって手も口も動かせないのを感じました。思いがあっても、口に出さない…これが私の長年パターンなのか…と思って、途中からは、その時に感じたままを口に出してみようと思って、言ってみたけど…すごく違和感がありました。でも、ほんの少し、いつもとは違う自分をやってみることができて、堂々巡りの葛藤から一歩踏み出せた気がして、きっとこれとってもよかったと思いました。
お母さんの癒やしのサロンでまた頑張る元気やヒントをもらって、毎日すごす中で、少しずつだけど、深いところでも、変化が起こっているのかなと思います。
なかなか価値観が入れ替わっちゃうような劇的な変化を感じることはないですが、少しずつ縛っている自分を解放していけるように、力をかりながら、やっていきたいとおもいます。ありがとうございました~♪
●お母さんのためのサロン、ありがとうございました。私もとても緊張していました。でもそんなことも配慮した上で進めてもらっていたので、段々とほぐれ、とても心地よい場所に変わってゆきました。
私はまんまるの会の方で、何度も天心を一緒にやってもらっているので、いつもの自分と比べて、気持ちがソワソワしがちだったり、硬く閉じている感じだったなぁと、今思います。やっぱり緊張してたかも。感情にぶわっと触れる時もあるし、やるたび違って、色々だなぁと思いました。みんなは身を任せ、委ねている感じがして、あらわれてくるものが豊かだなぁと思いました。
おまけのカードからの‘与える’のメッセージも自分の心情にぴったりで、なんだかがんばるぞって、力がわいてくるような気がしました。
最後のハグは、もうなんていっていいか…いつもですけど、なんともいえないひとときで…とっても照れくさいけど、じんわり嬉しくて、ズドンと心の深い所にきます。
かなり満たされた気持ちで帰ってきて、家事もはかどって、子ども達には優しく接しられたり、寝つきがよかったり、ちょっといい気分でした。
今日、こんなのやってきたよ~と足首と後頭部に手をあてて…と家族にやってみたけど、子どもも夫も??という顔をしていました。彼らとはあの心地よさをちっともわかちあえず、残念でした(笑)。もうすこし娘がおっきくなって、今日何かあったのかな‥って感じた時にやってみようと思ってます。
日常生活の中で、心がダメージ受けてしまうと、寝込んだり、パタッと家事ができなくなったり、思いっきり崩れたりする時がよくあるのですが、こういう楽しく感じる、安心感がよりたくさんひきだされる時間も、大切に重ねていきたいと思っています。
●先日の癒しのサロンでは色々お世話になりました。
天心は以前に一度経験があったのですが、何だか分からずに終わってしまった気がします。何かを感じなければ・・・、と思う気持ちもあってか?上手できませんでした。上手くやろうとしなくていいのも分かっているのですが、私には難しいです。
一番印象に残ったのは、『力を抜く』ということです。いつも何故か力が入っていて、それに気がついていなかったこと。
それから『呼吸をすること、感じる』ことです。1回目のサロンの日から自分が普段は鼻で呼吸していて、猛暑のせいか苦しい呼吸をしていることに度々気がつきました。
大きな呼吸を時々してみると気持が良かったり・・・、たまには伸びでみたり。運転中の信号待ちの時にやるといい感じでした。
特別に何かが変わったわけではないのですが、森さんに会えてハグしてもらえて嬉しかったです。森さんのハグは本当に気持ちイイ!です。余計な力(緊張感など)が抜けていくのが分かります。
●昨日はありがとうございました。たくさんの気づきとヒントをもらって帰ってきた感じです。やっぱりあの時間は私にとって特別で、人の暖かさ、温もり、居心地のよさですごく幸せな気持ちになります。
昨日やったことを思い出しながら…どうも朝は気持ちが乗りにくい感じなので、さっそく好きな音楽をかけて気分転換してみました。子ども達はかあちゃん何してんだろ?って顔していましたけど、音楽に合わせて思うままからだを動かすって、やっぱり気持ちいいなって思いました。
とかく毎日の生活が、子ども中心になりがち、そんな中でも、自分が好きなことをそうガマンしなくても、大切にしてもいいんだな…って、みんなの話をきいていて思いました。
イライラを感じるワークは、Tさんにしっかり受け止めてもらって、思いきり張り合ってもらう感じを味わうことができました。だだこねもしっかり脇から支えてもらっていて、意識を超えたところで勝手に身体が動いているので、自分でもビックリしました。親をてこづらせるあんたなんていらないと突き放され孤独感と絶望感を味わうのではなくって、こんなふうに親に付き合ってもらって、だだこねしたかったな…という思いです(涙)。苦しい気持ちと戦いながら、子ども達にそうしてあげたいと思ってきました。
私はずっと表情がないと言われていた時期があって、怒らないし、笑わない、あまり何かを感じない、心が動かない、そんな風だったな…と森さんの話から、思いだします。その頃を思うと、今は古傷も痛むけど、喜びとか嬉しさにも心が動くので、良かったんだよねと思います。少しずつ封じ込めたものを緩めてきているけれど、抑えこんできただけに、イキイキした自分の生の感情にふれる思いが出てきてしまうのは今もとても怖いです。もっとはっちゃけたい自分もいるけど、封じているうちに錆びついちゃった感じなので、少し~少しずつ許して、磨いてあげたいです。
●手で張り合ってもらって怒りを出すワークの時に、何でイライラしてるかなぁって張り合ってもらっているうちに気になってきました。
そうしたら、不安を感じている自分が浮き彫りになってきました。 何に不安を感じているのかなぁって思っているところでワークは終わったんですが、後で色々自分に聞いてみると、いつも不安というより、安心しきれないって浮かんできました。
子どもの時にものすごく楽しみにしていた行事ごとを父の機嫌ひとつで、出かける寸前のところでナシにされて、一日悔しくて悲しくてベッドでフテ寝していた事が思い出されました。父は、今でも母が実家に行くのをものすごく嫌って、祖母はちょうど一年前に亡くなったのですが、母が祖母の病院に付き添ったり見舞ったりも、父の許しが出ないと行けなくて、行けたとしても、その日一日機嫌悪く、嫌味をグチグチ言われたり怒鳴られたりしていました。
私は子供の時、曾祖母が大好きで、豊川に住んでいるんですが、父の許しが出ないから一年に一回会えればいいほうでした。一年ぶりぐらいに曾祖母のところに母と妹と三人で行っていいという許しがでて、私達3人はかなり前から指折りその日を楽しみにしていました。
当日も一番のよそ行きを着せてもらってはしゃいでいたら、父は私達のその様子が気に入らなかったみたいで、靴も履いて、もう玄関を出るといったときに、「茶碗が汚れている!もう行くな!!」と怒鳴り始めました。私達3人は泣いて謝ったけど、許してもらえず、その後どんなにか父を恨んだかしりません。
そういう風に予定が父の機嫌ひとつで反故にされる事は何回もあって、私は楽しみな予定ほどがっかりしたくないから、期待するのはやめようと思うようになっていきました。
何かそういう癖みたいのが、安心しきれない部分に繋がっていくのかなぁって思い当たりました。二段ベットで、怒りと悲しさと悔しさで歯を食いしばって一日を過ごした小さな私を抱きしめてあげたいです。
「おおばぁちゃんに会いたかったよね、悲しいね、許せないよね、子どもである自分が悔しいよね」って。。。
ヤダヤダに付き合うワークで、Tさんが、子どもがヤダヤダやっているのを見るのが辛くて別室に行ったり見ないようにしてしまうと仰いました。また、自分自身、子供の時にヤダヤダを言った記憶もないから理解できないとも。
私が、「ヤダヤダって言うのを我慢していたのですか」ってお聞きしたら、「いや、ヤダなんて思った事もなかった」と仰られてました。そこで次のワークに移ったのであんまりお話はそれ以上伺えなかったのですが、森さんが、Tさんのそのお話に対して、「ヤダなんて思うわけにもいかない子ども時代だったのよね、頑張ったよね」みたいに仰られた時に、Tさんが涙ぐみそうな感じだったのを見て、あぁそうかぁ、我慢していたわけじゃなくて、そう思うわけにすらいかなかったんだぁって思いました。
私自身が、親に対する悔しさから泣くのをすっごく我慢していたから、何か他の人のそういうお話を聞いても、すごく我慢していた人なのかなぁって思ってしまうんですが、お母さんや家族の助けになりたいって、自分の本当の気持ちにも鈍くなってしまうまでに頑張られてきた方なのかなぁと思いました。
ワンパターンに自分と同じように考えてしまうところがあるので、森さんの開いてくださっている会などで勉強して、吸収していきたいです。